手相で幸せ探し

徳川家康とはどんな人物だった?

どんなに歴史に疎い方でも、
徳川家康の名前を聞いたことがないという方はいないでしょう。

 

徳川家康といえば、ご存知の通り、江戸幕府を開いた人。
それも、60歳を超えてからこの偉業を成し遂げたといいますから、
「大器晩成型」の元祖のような人です(笑)。
織田信長、豊臣秀吉の時代には裏方として彼らの成功を支えながら、
虎視眈々と自分の時代がやってくるのを待っていたという、
並々ならぬ精神力と執念深さを持った人物だったのです。
う〜ん…。サラリーマンの鏡ですね(笑)

 

ともすれば、人は、才能や強烈なカリスマ性で
若くして成功する人をもてはやす傾向がありますし、
そういうスター性のある人に人気が集中するものでしょう。

 

しかし、徳川家康は違います。
彼は、確かにカリスマ性もあったとは思いますが、なんというか、
もっと人間的でドロドロしたものを持った人物。
今の政治の世界で言うと、小沢一郎先生のような存在でしょうか?

 

豊臣秀吉が亡くなった当時、徳川家康は関東250万石という
圧倒的な石高(今でいうところの収入のようなもの)を誇っていたため、
彼ににらまれたら怖くてとても逆らえないという存在だったのです。
さらに彼は、次々に有力な大名と婚姻を通じて親戚になり、
自分の味方を固めていきました。

 

しかもそれは、豊臣秀吉の遺言を無視した強引なやり方…。
豊臣家をないがしろにして傲慢に自分の勢力を拡大していく家康に対して
不満を持っていた石田三成が立ちあがったのが、有名な「関ヶ原の戦い」です。

 

言い分だけを見れば三成のほうが正しいのかもしれませんが、力の差は歴然。
結局は、家康のほうが一枚も二枚も上手だったわけで、
関ヶ原の戦いも徳川家康が率いていた東軍の圧勝に終わりました。

 

結果として、家康が開いた江戸時代は
250年もの長きにわたって続いたわけですから、
やはり、才能や“ツキ”だけで若くして成功する人とは違う、
底知れない人間力があった人のように思います。

徳川家康の手相の特徴

徳川家康の手相は、栃木県の日光山輪王寺宝物殿に保管されています。

 

家康の手相の最大の特徴は、図のような「マスカケ線」があること。
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これは、「自分はこれが欲しい!」「コレが自分の道だ!」と強く願ったことに対して
不屈の精神力で立ち向かう人が持つ手相。
頑固で執念深く、願った運命を引きよせてしまうという
“引きの強さ”や“運の強さ”を持っている人です。

 

徳川家康のように天下(国家)を支配する人物に表れることが多い手相で、
現代でもあらゆる分野で成功を収めている人に見られる相です。

 

また、家康の手相では、
27歳の位置で生命線から中指に向かって「開運線」が伸びています。
これは、その年に大きなチャンスや飛躍が訪れるという暗示。

 

実際、彼は27歳の時に浜松城を築城しています。
浜松城といえば、「出世城」の名で知られるお城。
(※城の規模は大きくありませんが。ちなみに、「出世城」という日本酒もあります(笑))
この城に居た頃、家康は三方原の戦いをはじめとする
幾多の戦いを乗り越えたのです。

 

マスカケ線ってどんな線!?

さて、徳川家康の手相に刻まれていたことで知られる
「マスカケ線」とはどのような線なのでしょうか。

 

実はこの手相、めったに見られないありがたい手相なんです。
割合で言うと、全体の2〜3%といったところでしょう。

 

これは、知能線と感情線が一体化した手相で、
「ココ一番!」というチャンスを見事に自分のものにできてしまう強運の持ち主です。

 

ただし、この手相を持っているからといって誰もが成功できるかといえば、
決してそうではありません。
強烈な個性の持ち主であり、非常に頑固な人でもありますので、
自分の能力をうまく生かせなければただの「変わり者」。
成功と失敗が紙一重であるため、
浮き沈みの激しい人生を送る方も多いようです。

 

ちなみに、この手相が悪い方へ転んだ場合の例としては、
ヤクザの大親分など…。

 

手相が教えてくれる自分の才能を、社会に役立つ方向に生かすも殺すも、
結局は自分次第ということなのです。

 

※ちなみに、マスカケ線の場合な流年が1年ズレて表れます。