手相で幸せ探し

豊臣秀吉とはどんな人物だった?

家柄のハンディを乗り越え、実力で大出世した歴史上の人物といえば…。
誰もが真っ先に名前を挙げるのが、豊臣秀吉ではないでしょうか。

 

豊臣秀吉は、正真正銘の「農家のせがれ」。
今の時代であれば、農家の出身でも政治家になることは可能ですが、
豊臣秀吉が生きた時代では考えられないことでした。
なぜなら、天下を取る人はほとんどが武士の子供で、
何かしら出世の糸口は持って生まれた人たちだったからです。

 

そんな中で、農家の生まれでありながら天下人となった豊臣秀吉は
稀有な存在だったわけ。

 

元々彼は、非常に向上心の高い人物だったようで、
今風に言うと色んな仕事をしながら経験を積み、
自分のスキルアップを図っていたのだか。
そんな中、薪炭を調達する係として信長の元で働き始め、
薪炭購入代金を削減することに成功したことをきっかけに
信長の目に止まったのだと言われています。
(諸説ありますので、これが100%正しいかどうかは不明です)

 

信長は超合理主義、実力重視派だったと伝えられていますので、
豊臣秀吉の経済感覚の鋭さに「おっ?」と思ったのでしょう。
その他にも、真冬に信長が履く草履を温めて
信長を感激させたというエピソードも有名ですよね。

 

こうして信長に気に入られた豊臣秀吉は、近江長浜に一国を与えられ、
信長の命令に忠実に動いていたわけですが…。

 

本能寺の変で信長が死去。
山崎の合戦で明智光秀を討ち、信長の仇を取り、
天下統一に向けて躍進を始めたのです。

秀吉の手相の特徴

豊臣秀吉の手相の特徴は2つあります。
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一つは、徳川家康と同様、「マスカケ線」
これは、手に入れたいと強く願ったことに対して
不屈の精神力で立ち向かう人が持つ手相。
頑固で執念深く、願った運命を引きよせてしまうという“引きの強さ”や
“運の強さ”を持っている人です。
歴史上の人物のみならず、
現代でもあらゆる分野で成功を収めている人に見られる手相なんですよ。

 

実際、秀吉は血筋の悪さを乗り越えて天下を統一した人物。
信長の死後は織田家の息子たちをおさえて
事実上の信長の後継者になることに成功していますし、
近衛前久の養子になって関白に就任。
全国の大名を平定し、欲しかった「天下統一」を自力でつかみ取っています。

 

豊臣秀吉の手相でもう一つ特徴的なのは、
強烈なまでに力強く伸びている「運命線」
なんと、中指の先端近くまで伸びているんです!
これは、豊臣秀吉自身が刀で彫って伸ばしたものなのだとか。
つまりそれは、豊臣秀吉が運命線の持つ意味を知っていたということであり、
手相学に強い関心を寄せていたことの証でもあります。

 

(ちなみに、秀吉の手相は静岡県の久能山東照宮に保管されています)

秀吉が関心を寄せた運命線の意味

豊臣秀吉が、自分で彫ってまで伸ばしたという「運命線」とはいかなる線なのか!?

 

運命線は、手の平の真ん中付近を縦に走っている線で、
「運命のシナリオが刻まれている」と言われている線です。
人生における大きな転換期や変化を読み取る時、
手相ではこの運命線を見るのです。

 

豊臣秀吉のように太くて力強い運命線は、
その人が精一杯努力して充実した生き方をしているという証。
その人自身の「人生に対する満足感」が如実に表れる線ですので、
自分の生き方に自信が持てなかったり、
人生に充実感がなかったりする人の手相では
運命線が薄かったりなかったりします。

 

ちなみに、秀吉の手相のように生命線から中指へ向かって昇っている運命線は、
努力と精進によって自力で運命を切り開く相。
類まれなる根性の持ち主であったことが、この手相からもよ〜く分かりますね。